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お湯感のある日々

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こういう日々には、通り過ぎていく空気の肌感に、なんとなくお湯っぽいところがある。抜け感のある空に、お湯感のある春先の肌感がよくて、楽に暮らせる。

シャリ感のある生地のフィッシュテール(リップストップだけどお湯感のある着心地)を羽織って町へでるのもいいし、大きめのショーツにして、涼しくお湯してもいいし。

なんかいいんだよね。そうっと歩きだすと、ハチミツを塗った糸がそこら中に張り巡らしてあるみたいだ。指ですくって舐めてもいいし、気の向くままに一糸をたどっていくと、またやさしい、お湯感のある人に出会う。こういう日々には、そんなことがある。

日曜日が来るのが、一〇年先みたいに感じられる。耳を澄まして歩きだすと、甘い糸がそこら中に張り巡らしてある。ジュリア・ロバーツがでていた泥棒映画の軽業師みたいに、ぼくはよけて歩こうとするんだけど、どうしてもズボンにハチミツがついてしまう。

それがおもしろいよ。ハチミツいらないのにハチミツまみれになる。薄暗い喫茶店に入って、タバコに火を点ける。コーヒーゼリーを注文してから新聞を読み始める。店員はゼリーにのせるソフトクリームを切らしている、という。ぼくは問題ないという。

人生というものには、いくつもの選択肢が用意されている。立派な人は、いつも困難な方を選択する。まれに偉大な人間というものは、自分の選んだ選択肢に殉じてしまう。お湯っぽい人はというと、かんたんで、お湯がたくさんあるほうにしよ〜と思う。

お湯にハチミツをひと垂らしして飲むという、母がたの祖母がしていた飲み方を試してみましょう、と彼女は言った。木曜日の夜のことだった。それはなんというか、甘ったるくて、きれいに交じり合わないもので、まさしくぼくたちのセックスに似ていた。

ぼくたちは一年間、仙台と東京のあいだで恋愛してから結婚した。人並みにハチミツみたいな日々だった。言葉の端々から、時刻表のページから、ドアの隙間から、そういう甘さが漏れだしていた。ぼくたちは舟が沈まないよう、柄杓ですくって戻した。

ソニア・パークの本にでていた陶器の水差しに、大きなやかんで沸かしたばかりのたっぷりのお湯を注ぐ。にぎりこぶしを象った花瓶のカーネーションが、昔の魔法みたいに白く包まれる。シチューを容れる銀の器は、いつものハチミツで充たされている。

お湯とハチミツしかないふたりの食卓。それが合図だった。男は、お湯がほどよく冷めるまでポケモンしていた(たまごじいさんの家の前で自転車を漕いでいた)。女は、絨毯で習慣になっている「猫のポーズ」をしていた(いろいろポーズはあるんだけど)。

カーテンがふくらみ、藍色の物影が目に入る。外は青く暮れている。そういう夜の東京では、わかるでしょう、お湯感のある肌感の、力強い風が、かたまりになって吹きこんでくる。それはびっくりさせる。それは落ち着かせる。二人の暮らしをプッシュする。

昼のあいだはお湯のように優しく。夜になると蜂蜜みたいに甘く。たんぱく質いつ摂ってるんだ、っていう。炭水化物もないし。お湯とハチミツしかでてこない家、帰りたくないよね。修道院じゃないんだからさー。いくら好きでも。いくら好きでもね。



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大和温泉という別府の温泉なんだけど、なんかふしぎなんだ。公民館みたいなの。いちおう、湯屋の向かいに一〇〇円払う受付があるんだけど、だれもいなくて、銭湯なら番台のある所に、お地蔵さんがある。こうして眺めても、なんか余計なものがないっていうか。人の世界ってこれでいいんだよな、っていうさ。だって、女の人がいて、男の人がいて、あいだに神様がいてって。

それぞれの空間に入っていくと、お湯がたっぷりある。そうしてゆっくりしたら、神様にありがとうして帰る。ほかに何かあったっけって思うでしょ。ないんだよね。すごくシンプルなんだ。ないんだよ。この写真、言葉になりすぎるな、と思って本に入れなかったんだけど、いまみても特別なものだ。この湯の感覚、いまも捉えている。すごい静かで曇っていたの覚えてる。

ここの〈お湯感〉切らさないようにしよう。

ぼくの第六感の糸を、つないでおこう。

しー。


Photo / Takeshi Abe