日記

火曜日に備えてかんがえを整理していると、なるほどな、と論理的に気づくこともあり、どうしてこうなったんだっけ、とよく判らなくなることもあり、いずれにせよ穏やかというか、むしろ退屈している。なにか足りないな、と思うけれど、二月の内に「なにか」が届かないのは知っているので、待っているしかないと思う。土曜日は静かに待っていた。なにをしていたか覚えていないくらいに。日曜日に目が覚めたら、喉がいたかった。

WOWOWを点けたら映画をやっていた。夫が戦死し、舅に泣いてたのまれ、夫の弟と結婚する。夫の弟も戦死し、舅が急死する。姑は自殺する。村の有力者に妾になれといわれ、這い蹲っていた所へ、夫の戦友が訪ねて来る。かれは兵役中に、父親に妻を寝取られていた。とかなんとか、充実した映画で、何処が面白いのかと訊かれれば、ぼくはぼくなりにだれにでも説明はできる気がする。作品をばらばらに分解し、また組み立て直すことすらできる気がする。(もしかしたら、それが良くないのかもしれない)

大江能楽堂へ誘われていたんだけど、風邪なので自重します、とメッセージを送った。じつはもう一つ理由があって、能という芸能が怖いのである。なんといっても能は伝統芸能のいちばん上流にあるので、中流から下流を下手にかじっているぼくは、打ちのめされること間違いなしなのだ。火曜日に備えてかんがえを整理しているのに、ここで心がひどく揺れたら、日曜日の夜と月曜日の一日だけでは立て直せないから、安全策をとった。この選択でいいだろうと、ぼくは金曜日の夜から知っていた。(それが良くない)

なにか食べようと思い、パジャマのズボンの上からコーデュロイのズボンを穿いた。毛糸の赤い靴下の上からもう一枚、短い靴下を履いた。毛皮のついたダウンコートを羽織り、用心深く厚着して外出するのが、なんともいえず、いただけない。質問を想定し、答えを思案しながら歩くのだが、なるほどな、と論理的に気づくこともあり、どうしてこうなったんだっけ、とよく判らなくなることもあり、いずれにせよ穏やかというか、むしろ退屈している。四条通の「恵びや」で、ざるそば六八〇円。(良くはない)

良くはないけど、恵びやは恵びやでいいのだから、不満はない。なにか買い物でもして、弾みをつけようと思って、三条通の「たなか」へ向かう道すがら、着物の学生や、車椅子の子どもとすれちがいながら、なにも買わないな、と結論づけていた。判断が早い。直感に従うのに慣れている。「たなか」の主人は、三十年前から吉田カバンを商っているといった。三代の付合いだといった。ぼくはいま使っている首掛けの財布をリプレースしたいのだが、いい財布はあっても紐がついていない。「たなか」は紐を売っていないから、紐だけ探さなくてはいけない。(うろうろ紐を探したくない)

なんというか、今のぼくには指針がない。理想の灯が薄い。なにかが足りない。だが分別は足りている。先回りして行動している。じつは土曜日の夜、松原通の「ホシ・クペ」という美容室を予約しておいた。土曜日にしたことで、ただ一つ覚えていること。東京で、写真の一枚は撮られるだろうから、先回りしておいたのさ。切る髪もないのに散髪へいった。いい美容師というのは、ハサミだけでも鳴らしてくれるもの。「ホシ・クペ」はいい店。美容室ジプシーの彼女もどうぞ。シャンプーして、乾かして、地下の防空壕を改造したギャラリーを眺めた。なにもない小部屋で、静かに待っていた。梯子を上がったら、次の客がいた。(もしかしたら、火曜日になにか見つかるかもしれない)