欲と恐怖

水曜日の夜に聞いたんだけど、上に立つ人の病は、<欲と恐怖>であるとのことだった。欲というのは、自分が決めたいという欲、自分が得点したいという欲。恐怖というのは、自分は嫌われているのではないか、という恐怖。孤独なのではないか、という恐怖。自分以外のだれかが、自分以上に成功してしまう、という恐怖。アナキン・スカイウォーカーに似ていて、欲と恐怖に囚われた人は、傲慢になり、なにもかも自分で決めようとし、下の人を、最終的には、信じていない。自分の目で見なくては、気がすまない。自分の方がより知っていると思う。自分ならもっと上手くやれたのに、と、いつも疑っている。

こんな人、ちっとも羨ましくない。

思ったんだけど、<欲と恐怖>は、<MY LOADS ARE LIGHT>という言葉の正反対にあるんじゃないかな。<ぼくの積荷は軽い>という、このフレーズは、後輩がやっている靴下のブランドの名前なんだけど、このへんな英語がいったいどこから生まれたのか、ぼくも質問した事はない。たぶん、<LORD IS MY LIGHT>という旧約聖書の一節をもじったのだろう。学芸大学で初めて見た時、靴下に刺繍されたフレーズに、ぼくは宗教的な匂いをかぎ取り、クリスチャン・サイエンス・モニターみたいだな、と訝しんだ。目が覚めるような違和感。今では、日々履いているから、忘れてしまったのが残念なくらいの。

ぼくの積荷は軽い>という一句を、ぼくとぼくの友人たちは自然に受け入れていて、深く考えもせず、ちょっと気に入っていて、なぜかというと、じっさいに軽いから。重いよりは軽い方がいいと、だれかに相談しなくても知っているから。というよりも、積荷が重い人が周りにいないから、積荷が重い人なんていないんじゃないかと思うくらい、ぼくの友人は軽いし、ぼくの妹も、お母さんもお父さんも、荷物は少ない。もちろん、<積荷>は比喩的なものだろう。欲と恐怖に囚われた人について想像しながら、<積荷>ってなんだろう、と考えていた。当世風に書けば、それは<エゴ>であろう。

自分が、自分が、自分が、自分が、自分が、の重い石を、一つずつ、海へ落としていく。そうすると、船は軽くなる。波の音がする。ぷかぷか浮いている。かんたんなのに、なかなか捨てられない。もったいないのか。慣れていないのか。自分の物だと自分で思っている物が、増えすぎてしまったのか。ぼくには分からない。そうです。分からないのです。なぜかというと、ぼくは、上に立つ人ではないから。下にいる人だから。<欲と恐怖>とは無縁でいられるから。ぼくは、ぼくが決める事は、ぼくの分だけ取っておいてあればいいと思うし、嫌われてもいい。(その方が落ち着く)

ダース・ベイダーにしか、ダース・ベイダーの心境は分からない。ジャー・ジャー・ビンクスには忖度できない。ダース・ベイダーとジャー・ジャー・ビンクスでは、不思議の国のアリスの、チシャ猫が歌う歌詞のように、<偉さが違う>。偉くない人は、偉い人には何もできない。反対に、偉い人が、偉くない人の振りをしても、<欲と恐怖>は無くならない。金、権力、家柄、金。<積荷>はどうしても重い。軽い振りをするのは、卑しい。同じではいられない。偉くない人は、偉くない人なりに、偉い人は、偉い人なりに、自我のインターフェースを身につける必要があって、それが、人の品格ではないか。

なーんてね

<欲と恐怖>を受け入れるには、そういう訳だから、古典が処方箋になる。というのも、昔の人は身分の違いがハッキリしてゐたから、それぞれに振る舞い、それぞれの筋を通す為に、ときどき、現代人からは考えられない行動をするのです。自分の子供の首を斬ったりね。<菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)>に、桜丸のこんなフレーズがあるらしい、<下郎ながら恥を知り>。どういうことかというと、身分の低い人間は持っていない恥という感情を、身分が低いのに感じてさーせん、みたいなね。恥じていることを恥じている。ぼくは、桜丸が好きなので、覚えているフレーズ。

今週末は、岡山と四国へ行ったから、書きたいことはたくさん。だけど、小旅行をしながら、上に書いたようなことを、ずっと考えていた。それを書き始めたら、このくらいの分量になったので、このくらいでいいでしょう。そうだ、詩でも書いておこう。


ぼくの積荷は軽い

壁に立てかけた木の板、壊れたトイレのふた
集めた古本の棚、伊藤さんが出ていた
ティーナインティーンの


やっぱりやめたー