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コラムとブログ、初音の湯

暑中見舞い申し上げます。近頃、はてなブックマークで、はてなブログやはてな匿名ダイアリーの、良質なエントリーを沢山見られるのがうれしい。先週末は今治、松山へ旅行したけれど、仕事のことといえば、そればかり考えていた。知らない人が、いい文章を書いて、だれかに知られる様になるというのが、うれしいのだ。不思議な感情で、とくに自分は得しないし、もしかしたら、だれも得しないのかもしれない。ただ、善意を感じる。いい文章があって、いい文章が見つかったことを、皆でお祝いしている雰囲気がいい。こういう世の中を、ぼくは作りたいと思っていて、すでに作られつつあるし、真ん中に参加しているんだから、なにも言うことはない。ただ、幸福である。

勿論、やるべき事は山積ですけれど。ブログといえば、ぼくは大学時代のゼミで、コラムを書いていた。研究室には二つクラスがあり、一つは雑誌、一つは小説だった。ぼくは雑誌のクラスだった。雑誌の方は、八〇〇字程のコラムを書くのである。このくらいの長さの文章が書ければ、売文しやすいから、というのが、指導教官の趣旨だった。ここでいう売文というのは、紙の雑誌に載せてもらうのである。たしかに、教官の戦略は当たっていて、ぼくは二〇代の前半で、多くの雑誌にコラムを書かせてもらった。六〇〇字から八〇〇字くらいの文章。多くは休刊してしまったが、今になって思うのは、コラムとブログは似ている、ということ。ブログも、このくらいの長さがあれば、読ませる方ではないだろうか。ぼくはずっと、この種の文章を書き、読んできた。つながっているのだ。

いや、思いがけず繋がっていたのだ。ぼくは当初、大学で勉強していたコラムの見識は、役に立たないと感じていた。時代遅れである、と考えていた。じっさい、そうだった。多くの雑誌は休刊した。けれども、何もかも役に立たなくなる、という訳ではなくて、新しい状況に合わせて、自分なりに思考の道具を作り直した。これで十分だろう。コラムとブログは、たとえば、文章の長さの他に、ジャンルの定義が難しいところが似ている。いずれも、なにを書いてもいいのだ。小説やカタログの様なコラムがあるように、日記や映画批評のスタイルを取るブログがある。コラムという文学形式と同様に、ブログという文章のジャンルをどう扱うのか、というのは、文芸批評のおもしろいテーマではないか。コラムというのが、筋が良かった。コラムは新しく、変化に強いジャンルだった。

コラム的=ブログ的な文章を読み慣れている外に、もう一つ、仕事の糧になっていることがある。それは、定性的な議論のボキャブラリーが身についていること。文章の質という曖昧かつ多義的な価値に尺度を与える、訓練をしていること。早い話、口が上手いということかもしれない(笑)。しかし、じっさい、どれが良質なブログで、どれが良質でないブログか、というのは、数値化しにくいであろう。はてなブックマークは、果敢にもブックマーク数という定量データでこの課題に挑んでいるのである。はてなブックマーク数ははてなユーザーという質の高い(てへ)コミュニティに裏付けられているが、コンテンツの質を測る一つの基準でしかない。コンテンツの質を、データとしてどう表現すればいいのか、大学時代の研究が、形を変えてつづいているったらつづいている。

なんかこの文章、社会人っぽいですね。安定感が半端ないね。安定しているとぶっ壊してみたくなるけれど、やめておきましょう。昨日、一昨日と、株式会社はてなの裏の、押小路通の銭湯へ通っているんだよ。初音の湯。金曜日に初めて行ったみたんだけど、鮮烈。とくになにがいいって訳でもないんだけど。お湯に足をくぐらせた瞬間が、鮮烈だった。道後温泉を、てくてく散歩した後に、椿の湯に入るっていう遊びをしていたんだよ。おでんとビールを飲み食いしては、風呂に入るという実験を、四国で黒川先輩としていたんだよ。タフな研究だったよ。汗が止まらなくなった。うん。くせになっちゃって、京都でも研究しようと思ったのだよ。こちらでは、京都タワー地下の浴場、新町通の白山湯、五条の五香湯、そして初音の湯の、四つの銭湯へ行きました。初音の湯がいいッス。株式会社はてなと<わたなべや>から近いのが天国。バーミューダ・トライアングル。

あーあー。今治のスナックたのしかったな!