ブログの書き方

ぼくはブログが書けない。上手く書けないし書くのが遅い。一つ前のエントリも本当は先週末に上げる予定だった。祝日の月曜日の夕刻から書き始めたはいいが、まとまらなかった。月曜日の夕方からブログについて考え始めた訳ではない、三連休の間ずっと此の現実をブログに書かなくちゃ、と思っていたのである。構想を練る時間はたっぷりあったらうに、真夜中になってもエントリを上げられず眠る時の気分は、<ごめんて>ってかんじ。三人くらい楽しみにしている人はいるだろうから。ぼくが上手く書けなかった理由は他でもない、ぼくが現実を崇拝しているからであろう。リアルの崇拝者。ぼくは、ぼくの風景とぼくの友人を、ウォール教の司祭にとっての壁のやうに信仰しているのだ。

だから、風景と友人への畏敬の念が強い時ほど、ブログが上手く書けなくなるのだ。これじゃない、これじゃないよぉ、となる。ふぇえ、となる。目が重すぎて手が止まってしまう。果実の重みが、茎を矯めてしまう。折れたらそれきりになる。腐敗して土に還ったブログの種がブログ貝塚となって地層を成している。こいつを上手くスライスしてやりたいね。思うに、ブログそのものが地層に似ていないだろうか。古い土に新しい土が積もっていく。トップページは水平方向から眺めた断面図であろう。一つ一つの文章はバラバラかもしれないが、精神の移ろいを時系列で一望する面となっている。それが面白いと思う。時間と共に生起する。ガラスの蟻の巣箱みたいに。そこが本とちがうと思う。

ブログは動いている。静止しているやうでゆっくりと呼吸している。Macbookみたいに。ぼくはブログの周りをうろうろ歩き回ったり、角度を注意深く観察したり、指で突っついたりしながら、次に上に何を乗せようか思案している。ジェンガにも似ているのだ。地層にも似ているしジェンガにも似ている。しかも動くのだ。なんだよそれ。無理ゲーじゃないか。でも、だれもブログが無理ゲーだとは思っていない。書ける人はさっさと書いていく。かれらは振り返らない。一行、一行、ティッシュを千切る様に書いていける。ぼくはちがう。ぼくはブログが書けない。上手く書けないし書くのが遅い。けれども、どうしていいか分からない。月曜日に待ってくれていた三人くらいのために、これを書いた。