めでぃあ随筆

野分の東京にて、めでぃあについて書きます。cakesの有料会員になってみたんですが、余り読まない。ぼくにとってはクリーンなコンテンツで、本(電子書籍)の隣りにある。クリーンなのが気分。アグリゲーションに食傷気味。いろいろなコンテンツがアルゴリズムにより束ねられているというシチュエーションにわくわくしない。以前はたしかにわくわくした。いまはしない。クリーンなものがいい。慣れてしまったのだろう。アグリゲーションという一形式が自然になった。めでぃあを作るとなると、最初に浮かぶくらいだ。また、完成した。アグリゲーションめでぃあは、SmartNewsで完成した。

Twitterから収集し、UIで無双している。自動で行われるニュースの選定はどうかというと、ぼくはニュース編集者をしていたから、異論はある。「これが今日のニュース?」といいたくなる時もあるが、これはこれで現実を反映していると思う。ツイートの分析が、背景にある。民主主義に似ている人工知能でニュースが決まる。ユーザーは慣れるから、ジャーナリズムの文法が変わっていくかもしれない。すでに変わっているかもしれない。めくるだけで気分が良くなるのがいい。きれいなパッケージで読めるのもいい。ジャーナリズムなんて気にしなくなるくらい、ふれていて気持ち良くなるのがいい。

Gunosyはどうだろうか。これはこれでいい。リニューアルの評判が芳しくないそうで、批判者の意見も判るけれど、コンテンツが増えたので、ぼくは起動する回数が増えた。パーソナライズには、ちょっぴりわくわくする。朝刊、夕刊のリズムにもわくわくする。物足りないのは、コンテンツである。今月の歌舞伎座の「すし屋の段」、仁左衛門の評判はけっして届かない。現状のアルゴリズムではリーチできないのか、インターネット上のコンテンツがそもそも偏っているのか。マーケティングとライフハックとプログラミングの記事の山を掻き分けないと、「いがみの権太」が見つからないのだ。

古本からアグリゲーションすればいいのに、と思う。明治時代の新聞からぼくの好きな演目の劇評を一日二回配信して呉れるアプリまだですか。いままでに書かれた古本のデータといまインターネット上にあるデータ、どちらが大きいのだろうか。いずれにせよアグリゲーションめでぃあでは読めないコンテンツがあるのだ。クリーンなものがいい。本に似ているなにか。本でもいい。本をまた読み始めた。ぼくが、紙やインターネットで読みたいと思っているコンテンツは、ずっと前から変わらない気がしている。それは小さいものである。だれでも書けるものである。小さくてクリーンななにかである。