36才になった

今まででいちばん大人になった感じがする(当たり前だ)。大人になったなーと安心している。大学時代からずっと「若い自分」に照れていた。若いのは仕方が無いのに、「こんなことじゃいけないな」といつも思っていた。才気走っている自分が恥ずかしかった。反省する自分がしんどかった。もう、そういうことはない。成長はしていない。慣れたというのもあるけれど、三十六という字面が大きい。それしかない。三十五才がいいかんじに転機になった。はてなに入社して京都に住み始めた。給料を貰い生活が安定するのは勿論だけれど、「インターネットの仕事でいいんだな」と納得したのが大きい。其の前もソーシャルネットワークの仕事をしていた訳だけど、其の其の前は紙の本を作っていたので、どちらの仕事がいいのか訝しかった。目の前の仕事をすればいいだけなのに。「はてなに入れてもらえるのなら」とぼくは思った。「だれが見たってインターネットが好きな人間だ」。ぼくは、自分の好きなものに対して敬虔なので、自分で好きだと思っているだけでは、好きの慥かさとして不十分である。客観的な事実を大事にする。だれから見ても本気でなくてはいけない。そうしてはじめて「好きだ」と口にしていいのだ。「インターネット」は、ぼくがずっと取って置いたものだ。ソーシャルネットワークでは、まだ足りないと思っていた。やせ我慢していた。そういう所、自分でも偉いと思う。

なにが偉いのかといわれても、知らないけれど。京都で一年暮らし、東京へ戻ってきた。いま、少し安定している。これくらいの安定、他の人はとっくのとうに手に入れているだろう。三〇才くらいで手に入れているだろう。いいな、いいな。だけど、ぼくはこれでいいや。十六才くらいで思い描いていた夢を振り返ってみると、三十六才の自分に対してとくにイメージは無かった。ただ、芸術家と付き合ってみたいなあ、と思っていた。音楽家や美術家や小説家や服飾デザイナーなど、時代の作家たちとボヘミアン風の暮らしがしてみたいなあ、と夢見ていた。こういう夢は、だいたい叶った。まったく、予想を上回るレベルで思いつく限り実現した。本を何冊も作った。タケノコ族の全国ツアーに同行した。美術手帖にも書いたし、スタジオボイスにも書いた。ジョジョの奇妙な冒険の作者の家を訪ね、絵を描いて貰った。クラブにゲストで入った。展示会で洋服を貰った。女優のいるパーティーで皿が飛んだり瓶が割れるのを見た。亡くなってしまった、ソフィア・コッポラの映画に出ていた名編集者に殴られたこともあるし、だれか知らない人に殴られたこともある。建築家にも会った。マフィアみたいな人を見かけた。一通り教えてもらった。ぼくには十分すぎた。ぼくは細かい一つ一つまでよく覚えているので、上に書いた数行の想い出に何時間でもひたっていられる。十六才が夢想するように回想できる。

世の中に、少し足を踏み入れてみて、いちばん意外だったのは、ぼくにとって信頼に値する人たちが、ぼくの文章を、度々褒めたことだ。ボヘミアン風の暮らしをしたことより、そちらのほうが驚きだった。気負ってしまい、自分の文章に合わない勉強をしたり、自分の文章に合わない風習に合わせようとしたり、なにも書けなくなったりした。「あなたは書けない」とわざわざ言ってくる人がいた。「だれも読んでくれない」と宣告されたこともある。いま考えると、くだらないし。もともとそういうものではないか。あなたの気の済むように書いたら、だれかの目に触れるかもしれないし、触れないかもしれない。リクエストがあり、サーバーがデータを返した。それでいいじゃないか。チラシの裏でいい。だいたい、ぼくが上手く書けたと思う時ほど、だれにも伝わらないのだ。駄洒落だったり知っている人しか気付かない引用だったりするから。怪訝な顔をするしかない。ので、気にしないでください。さっきまで、妹と歌舞伎のチケットのなすりつけ合いをしていた。妹は、疲れているから代わりに観劇してほしい、と言った。ぼくは丁重に断った。お尻が痛くなるし、仁左衛門が休演しているから。いきなさいよ、と妹は言った。ぼくがやっぱり行くことにしたのは、三階のオリエンタルカレーを食べやうと思ったから。隣の空いている、眺めのいい席だった。スティーブ・ブシェミという眼鏡を掛けたぼくが、コーヒーを買いながら質問すると、売店のおばさんは、オリエンタルカレーは消滅したと教えてくれた。イノシシがパタパタと駆けていった。松緑が、ひっくり返った。ぼくは上の空だった。柿色の天井の梁を見上げながら、ぼくは「まだ若いなあー」と照れていた。