時々、上洛

木曜日、金曜日と一か月ぶりに京都だった。木曜日は東洞院の尾張屋、金曜日は四条通のゑびやへいった。なんだかんだゑびやは落着く。ジュンク堂の近所なので買ったばかりの本を読んでいる人がいる。地下の蕎麦屋。神田神保町の雰囲気がある。背後の席でオーストラリア人を接待していた。「丸の内には大きな池がある、天皇の城を守る池である」という英語が聞こえてきた。帰りしに一瞥すると、社長さんの手首には数珠が嵌められていた。ぼくもいつか数珠をはめようと思った。数珠(じゅず)をはめよっと。老獪になったら。大人になったら。大人って数珠をフレックスしてるイメージ。あれはなんだろう、念を入れているの。宝石というより神仏にすがりたいの。知らない。知らない、知らない。昼休み、松原通まで下ってホシ・クーペで髪を切った。鋏の音の内、奥からひそひそ声で外国語の練習をしているのが聞こえた。電話が鳴り、新しく入った日本人の助手が仏語で応対していた。この店の整髪剤は「シネマ・ジェル」といい、いい匂いがする。青と黄色がある。ぼくは青い柔らかいのを塗りつけてもらった。金髪のロシア人の助手が床の髪を掃除していた。「二週間に一度は髪を切ろう」と「ポパイ」に書いてあったけど、ぼくは上洛しなくては髪が切れない。「そろそろ髪が伸びて来たので出張いたします」ともいえないし。いや、本当はそれでいいはずなんだ。そんな風に東京と京都の社員が顔を合わせないと、別々にやっている意味がないはずなんだ。だから、京都のはてな社員は、みんな東京で髪を切ればいいのに。「さっぱりしたねー」って。ぼくはそれがいいと思うなー。それに、新幹線という乗り物だって、散髪するために乗るくらいが丁度いいんだよ。そうだよ、旅行とか仕事とかのために乗ると、新横浜で飽きるもの。遠くの土地で髪を切るのに乗るのが、二番目にいい。勿論、一番いいのは、遠距離恋愛の、真新しい下着を詰めたルイヴィトンの、乳液の小瓶とアナスイのポーチと、移動中は履かないマーク・ジェイコブスのローファーを包んだ、薄い袋、グミ、切符を挟んだポーターの革ケース、穂村弘の文庫本、ペットボトルのお茶、iPhone 5・・・ぼくは今回、「暇と退屈の倫理学」を読みながら行った。往復で半分ずつ読んだ。あの本、おもしろいね。ニュースの仕事をしている時、不思議だった。どうしてニュースを見るんだろう、と思っていた。時間が空いたからニュースを見る、という行為が、空虚に思へる事があった。それについて、どう書けばいいのか、随分悩んだ事がある。だから、「暇と退屈の倫理学」という書名を見た時、ぼくが考えたい事に、題名をつけられた様な心持になった。最近、ようやく知ったのだが、なにもかも自分で考える必要はないし、書く必要はない。それぞれに役割がある。手分けして取り組めばいいのだ。それは、世の中も会社も同じってこと。これ、庭の銀杏の様にきれいな wisdom だよ。同時代の人という感覚が、ここ数週間で、初めて感じられるようになった。先月、坂口恭平さんに会った。映像作家の友人が紹介してくれた。いい男だった。恵比寿のルノワールで、かれの目を見ながら話している時、ぼくに何ができるかなーと考えていた。雨が降っていた。少しだけ嫉妬していた。不愉快ではなかった。かれみたいに建国できないし。かれみたいに絵を売れないし。歌も歌へない。一つ一つ挙げていった。坂口くんとぼくの違いを静かに並べた。ああいう時間を待っていた。車窓の給水塔を追いながら、胸騒ぎがしていた。一か月ぶりに京都出社して、いちばん滑稽だったこと。ドリンクの冷蔵庫の目の前に、枯れたプラントが置いてあったこと。植木に水を遣れないのに、人心を一新できるだろうか。ぼくが「枯れてるし!」と叫ぶと、畳の若いエンジニアたちはくすくすと笑った。hitodeくんは栄養剤を手に、残りの一株を気遣っていた。そういうのが、ポリコムからは見えないから、時々、髪を切りに京都へいこうー。