メタレベルの恋

国立小劇場、二月文楽。お染と久松の恋。染模様妹背門松そめもよういもせのかどまつというタイトルから、なんとなく心中物だろうと思っていた。はたして二人は、いいなづけのいる跡取り娘と丁稚という許されぬ恋だった。それはいいんだけど、なんだか不思議な芝居だった。メタレベルの恋だった。

周囲の人形は、あらかじめ二人は心中すると知っていて行動しているようだった。油店の段、悪役の善六がいうには、お染と久松の本がもう発売されている。ドンキホーテみたいな。善六は、その心中物の本を二人に読んで聞かせるのだが、この時、義太夫は、人形が語る義太夫、という二重の演技をしている。

生玉の段、お染と久松が忍び逢っていると、すぐそこに芝居小屋があって、お染と久松の心中物を上演している。これはこわい。こわいし、恋をしている人たちの夢だろう。生きながら物語の世界にいる。二人で此の世からいなくなった世界を生きている。二人は人形浄瑠璃らしい事故で、善六を殺してしまう。

二人は井戸に身を投げ心中する。しかしこれは夢であった。同じ夢を見ていた。目が覚めると、舞台は質屋になっている。油屋の娘だったのに。ここがいちばん不思議な点で、ぼくは転生したのかなと思った。あるいは平行世界なのかなと。だけど、どうやら油屋かつ質屋らしい。シュレディンガーの猫。

妹は、大道具さんに確かめたという。ぼくは検索してみたんだけど、「油屋」という質屋じゃないかと書いてる人もいた。とにかく二人は、油屋で心中する夢を見て、質屋で目を覚ます。当然、もう一度心中するのである。久松の父親がやって来て、いいなづけのいるお嬢さんになんてことを、と息子を叱る。

お染の母親は、一人の男と枕を供にするのが女だと教えたでしょう、という。だけど、今回は久松を諦めて、いいなづけと結婚してくれ、と叱る。この時に久松の父親は、手ぬぐいで自分の首を絞めながら、心中の可能性を示唆するのだが、上手いと思った。あとから考えるとミスリードになっている。

蔵前の段、仏間と蔵が、中庭を挟んで配置されている。ようするに、これが妹背山の趣向になっている。中央におあつらえ向きの梅の木があり、見慣れている人ならああここで首を吊るな、と思う。しかし、この木は遣わない。周囲は久松を一晩だけ隔離しようと蔵に閉じこめる。ロミオとジュリエット。

蔵の窓から久松の顔。中庭にお染。お染はお腹に子どもがいるという。と、仏間の縁側にお染の父親が立って、そこにいるのはだれだい、と問う。ここもこわい。父親は娘を仏間へ引き戻し、お経を詠んで奥へ下がる。障子が閉まる。すぐに下女の叫び声がして、障子が開くと、お染は自害している。

ジュリエットの人形が横たわっている。お尻がかわいい。ロミオの久松はというと、見せない。久松の父親がすっとんで来て、蔵の中を蝋燭で照らし、あああああああで終わりである。この暗示がいい。凄惨でいいし空虚でいい。首を吊った亡骸は、この作品にはでてこない。そこがおもしろい。わかるかな。

メタレベルの恋は、こわいけど葛藤がない。近松の世界にある苦悩がない。代わりにあるのは、善六の高笑い。明晰夢の明るさ。善六は、なぜか出版されているお染と久松の本を、頭にちょいと乗せてはしゃぐから、油店の段を通称、チョイノセというんだって。おもしろくない? ぼくもチョイノセしたいよ。