ラリー・ペイジの言葉

今週のブックマークから、GoogleのCEO、ラリー・ペイジのこんな言葉があった。

人々が文化的な生活を送るために必要な労働資源は実はごく少ない。必要を満たすために全員が猛烈に働かなければならないというのは思い込みにすぎない。もちろんそこには社会的な問題――多くの人々はすることがないと満足できないという問題がある。そのために不必要な活動が膨大に行われ、地球環境が破壊されている。

どういうことかというと(そのままですが)人々が文化的な生活を送るために必要な労働は、じつはそんなにない。全員が猛烈に働かなくてもいい。だけど、人間はなにもすることが無いと困るから、仕方なく不必要な労働を膨大にしていて、おかげで地球環境が破壊されている、と。これはぼく、途方もない考え方だと思った。また、ぼくの好きな意見である。だけど、身も蓋もない話だ。イノベーションをもたらすことのできない殆どの人類にたいして、君たちのやっていることはムダだから、というよりも、むしろ害悪だから、動かないでじっとして居てほしい、と言っているのだ。かれにはなにが見えているのだろう。どうして暇を潰すつもりだろうか。ロボットに囲まれながら、花を育てたり、演劇を観たり、のんびりして、死が訪れるのを待つ人生。ぼくは、そんなに嫌いじゃない。

毎日会社に来てやることといえば、自分とほぼ同じようなことをしている同業のライバルの頭をどうやったら思い切りひっぱたけるかなどと考えるだけの仕事のどこが面白いのだろう?そんなことをしているからほとんどの会社は次第に衰退していくことになるのだ。つまらない改良をいくつか加えているとはいっても、毎日基本的に同じことを繰り返しているだけだ。よく知ったことだけやっていれば失敗しないと思うのは人情だが、逐次的な改良を繰り返していればいつか必ず時代遅れになる。

まったく、GoogleのCEOともなれば、此の世のあらゆる経営者と労働者がバカに見えるのだろう。すみません、、て感じだ。泣いて謝りたい気分だ。ペイジにとって〈つまらない改良〉の一つ一つが凡人の人生をどれだけ充足させるだろう。われわれがいくら創意工夫を凝らしたところでペイジにとっては〈毎日基本的に同じ〉なのだ。生まれて来てごめんなさい、ロボットになってやり直します、、、じっさいほんとうにそうなのだから。ところで、これらの言葉ですが、真実らしく、余りにも偉大なだけに、働いていない人の言葉に見えて来るのはぼくだけだろうか。どうだろう。なんだか、ニートが働きたくない理由をご大層に述べているように見えるのだ。ラリー・ペイジが話しているから、人類史の一つの局面を映していると感じられるのであり、ニートなら「働け」で終了だね。

ビジョナリー(予見者)と、働いていない人の発言が似ているって、うれしいな、と思っていたら、ある日、糸井重里のダーリンコラムに、こんなのを見つけた。

さまざまな新しいことは、
詩人が種をまいて、はじまるように思っている。

詩人は、それを実現できない。天文学者やら、法律学者やら、他の職業の人が形にする。詩人は働かないかもしれないが、詩人の言葉がイメージとして伝わったら、人間はもうそれを現実のものにしようと動き始めている。詩人は、種を蒔く。そんな文章だった。ぼくは思うんだけど、種をたくさん蒔いて、一つも耕さなければ、地球環境も破壊しないかもしれない。というわけで、きのうは、茨木のギャラリーで俳句とモビールの夕べでした。靴下が三足売れたよ、ハロー。




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