ブログに映る自分

ブログに映る自分を、目の当たりにするのがつらい。にじみでる素行の悪さというか、悪い人だなーと見え見えになっているのが。素直でセンスのいい若い人が、⭐️をくれるのがつらい。賢い人は、ぼくみたいな人は遠ざけるだろう。大きい本屋で岩波文庫「サキャ格言集」を立ち読みしていた時、まったくうろ覚えだが、こんなフレーズがあった。「みんなの前で言ったらいけないことを言う人。賢い人は、こういう人に気をつける」。ここでいう、気をつけた方がいい人がぼくである。

もういやになる。本当にいやだ。もともと悪かったのかといったら、そうだと思う。それがいちばん凹ませてくれる。だけど、悪さの発動の仕方、スタイルみたいなものは、後から身についたと思う。かんたんに言うと、不良の友人と一緒にいすぎた。交友関係に問題があった。昔悪かった、みたいなことでは全くない。そういう話じゃない。そういう人はいい人がたくさんいる。そうじゃなくて、人間性の深い部分で、ふざけており、でたらめであり、どうなってもいいと思っているのが、始末に悪い。

だけど、ぼくはいい人間だ。皆さんも分かっていただけると思う。優しいし、爽やかだ。ブログには、そういう自分も映っている。それがぼくを安心させ、混乱させる。どうして書いたのだろう、と思うことがある。あんなに繊細で、優しくて、理想主義的なことを、どうして書いたのだろう、と。いつも繊細で、優しくて、理想主義的な自分を形作ろうとして、懸命になっていたら、周りが不良だらけになっていた、というのが、実際の話かもしれない。どうしてそんなことになったのか。おかしいぢゃないか。

不良の友人が一人もいない人がいて、その人がいい人かと問われたら、ぼくは知らない。知ったこっちゃない。なにしろ、不良じゃない人ほど、分かりにくいというのが、ぼくの意見である。ふつうの人で、何考えてるのか分からない人は、山ほどいる。複雑怪奇だ。そういう複雑さは、不思議なことに、ブログににじまない。ブログからは見てとれない。まったくフェアじゃない。かれらは悪いのかもしれない。悪くないのかもしれない。分からないけど、ぼくが悪いというのは、にじみまくっている。凹むよ。

ぼくは、いい人間になろうと思う。

こういう言葉を、黒人の少年が主人公のビデオで何回か見た気がする。だいたい警官に叩かれたり、逮捕される映像が映ってた気がする。どうしてそうなっちゃうんだろう。どうしていい人間になりたいのに、追いかけ回されたり、お尻をぺんぺんされたり、棒で殴られるんだろう。どうしてぼくは、ブログを書いたり、俳句を詠んだり、絵画を眺めたり、賢い女性と会話したりできるのに、悪徳がにじみでちゃうんだろう。清潔なのに。お風呂に入っているのに。こんなに優しいのに。