文章のジャンルを作る

〈年末年始だからって、年末と年始のあいだに境界線はない。むりして区切らなくてもいい。つづいているものだと思って、通り抜けてしまうのもいい〉糸井重里さんが、こんなことを書いていた。ほぼ日に書いておられた。とても素直なようでいて、天の邪鬼な感じのする考え方で、ぼくの好きな考え方だ。高浜虚子も、同じことを俳句に詠んでいる。

去年今年貫く棒の如きもの 虚子

年末と年始のあいだを、棒のようなものが貫通しているという、なんというか、パワフルな詩で、もはや風景ではない。写生していない。去年今年(こぞことし)という季語も、面白いでしょう。新年の季語ですが、この言葉がそもそも、時間の流れに区切りはない、ということを表してしまっている。糸井さんが書いていることが、去年今年の一語で伝わってしまう。俳句というジャンルは、風景だけでなく、考え方や観念も扱える。

来年の〈ちるぽよブログ〉をどうしようか、なんとなく考えていると、書いていくペースが一つの要点であるのに気がつく。毎日なのか、週に一本なのか。二本なのか。テクストの長さも大事だ。毎日、四〇〇文字なのか。週に一本、八〇〇文字なのか。あるいは、気が向いた時に気のすむまで書くのか。インターネットに書くということは、どう書くかを好きに決められる、ということだ。これは紙とちがい、意外に重要なことだ。

ほぼ日に糸井さんが書いている文章は、なんというジャンルだろうか。毎日(ほぼ毎日)一本書く。長い文章ではない。お菓子みたいな、ひとくちサイズで書く。それも、なるべく多くの人の滋養になることを書く。生きていくためのヒント、励まし。チップス。親しい友人にしか分からないようなことは、書かない。見てくれる人が親しい友人である、という態度で、広くやわらかく書く。きっと書きたいけど書けないこともあるだろう。

あれって、なんてジャンルだろう。ああ、そうか。〈ダーリンコラム〉だから〈コラム〉ですね。だけど、本当にそうだろうか。あれってコラムなんだろうか。だいたいコラムって、インターネット以前からある文章のジャンルだよね。紙に由来しているでしょう。それがたまたま、インターネットという入れ物と相性がよかったから、もしくは〈紙で例えるならコラムのように見えたから〉そう呼んでいるだけじゃないのかな。

ぼくは〈ダーリンコラム〉って〈ダーリンコラム〉だと思う。ばかみたいだけど。発明したんだと思う。つまり、ツイッターがツイートという文章のジャンルを生んだのとまったく同じ意味で。なにが言いたいのかというと、来年の〈ちるぽよブログ〉をどうするかってこと。さっき言ったでしょ。書いていくペースと、長さを決めたら、コンテンツもしたがっていく。とてもスリリングなことだ。自分の心を乗せる、乗り物を作るんだよ。

ドミニク・チェンさんも似たようなことを仰っていた。〈つくりながら提案しよう〉と書いていた。古市さんに、古市さんがツールをつくればいい、と言っていた。文章でいうなら、こういうことだ。〈文章のジャンルをつくりながら文章を書く〉ということ。今は、そういうことが可能な環境だ。もちろん、ドミニクさんの言葉は、かれが最近、アプリをリリースしたというポジションを差し引く必要があるけど、ぼくは好きな発想だ。

ツイッターの創業者があたらしいブログサービスを作った時、その場所で書かれる文章を〈アイディア〉と名付けた。かれはあたらしいツールがあたらしい文章のジャンルを作ることを知っていて、あらかじめそう呼んだ。ケイクス&ノートの加藤貞顕さんは、インタビューで〈エッセイストのスターを育てたい〉と繰り返している。加藤さんも文章のジャンルを予期している。これから書かれるべきものを、ひとまずそう呼んでいる。

ぼくも〈エッセイスト〉にしよっかな。しよっかな、じゃないでしょ。喫茶店のメニューじゃないんだから。素性のあやふやな人間はなんにでもなれる。でも、だめだめ。エッセイはおそらく、女性がつよい文章のジャンルだ。女性エッセイストは上手に書くし、人気がでやすい。エッセイストは花形の属性だから、ぼくなんかが志願したら、一溜まりもない。チューチューネズミでいるのがいちばんだ。「ガンバと15ひきの仲間」みたいに。

それに、ぼくには〈ハロー風景〉がある。これも乗り物だ。ブログやツイッターが乗り物であるように、ジンも精神の船なんだよ。ブログやツイッターがだれでも運転できる車だとしたら、〈ハロー風景〉はポルコ・ロッソの飛行艇みたいなものだ。ぼくたちが乗ったときだけスペックを発揮するサボイアみたいなもので、ほかのだれかが乗ったら、飛ぶかどうかもあやしい。だからこそ切実だし、浮くまでが本当にたいへんなんだ。

なんの話をしているかというと、来年の〈ちるぽよブログ〉をどうするかってこと。忘れていました。〈文章のジャンルを作る〉なんてラージな題名を書いたけれど、もうあるんだと思う、きざしは。このまま、散歩していけばいいんだと思う。上手くやろうとすることは、ここでは意味がない。だれかが上手くやっていることを、やる理由もない。年末年始だからって、とくにアイディアはないんだ。いつもの散文。いつものぼく。