子規ぽよ 9〈写真〉

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涅槃像写真なき世こそたふとけれ

ねはんぞうしゃしんなきよこそとうとけれ

例によって「写真」の子規の句は三つしかないんですが、だいじな俳句を見つけた気がします。この句は「涅槃像」が季語で、横たわっているお釈迦様の像。お釈迦様が入滅したのは旧暦の二月一五日とされ、その日に「涅槃会」という法要をおこなう。ちょうど今の三月一五日くらい。春の季語です。その涅槃像を前にして「写真のない時代の方が貴い」と詠んでいる。とってもおもしろいし、だいじな俳句だと思う。

ぐぐってみると、日本で最初に「チェリー手提暗函(てさげあんばこ)」というアマチユア用カメラが発売されたのは明治三六年で、子規ぽよは前年に亡くなっている。

写真取る桜がもとの小女郎哉

しゃしんとるさくらがもとのこめろかな

「小女郎」は音をあわせて「こめろ」と読んでみた。「こじょろう」でもいいみたいですが。幼女?少女?が桜の木の下で、写真を撮っているか撮られている。チェリーカメラはまだ発売されていない。ていうか、チェリーも「桜」だね。おもしろいと思いませんか。なんだろう、どうして明治の人は「桜と写真」が近づくんだろう。

花の歌添へし吉野の写真哉

はなのうたそえしよしののしゃしんかな

これも、桜。「桜についての短歌を、吉野山の写真に添えました」という。吉野山は桜の名所だから、これこそ満開の桜の句だろう。はかないものだから、写真にふさわしいと思うんだろうか。けれども、遥か昔の写真といえば、だいたい人物像だし、白黒の桜の写真なんて記憶にない。「白黒の桜の写真」という文字に、実在感が無さすぎる。だから不思議だと思う。桜と写真の俳句は、すごく薄い。パラフィン紙みたいに。透けている。


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illust. Satoshi Murata